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2005.10.16

神の見えざる手

その美しく荘厳な写真を見たのは、『日本かちんこエージェンシー』という、ロケ候補地検索サイトを運営している長崎人を紹介していた、TV番組でした。

川棚魚雷艇訓練所跡。人知れず、誰も訪れる者のない海岸にひっそりと残るレンガ造りの兵舎は、シンプルで美しく、そして廃虚としての悲壮な美をたたえていました。その写真に魅せられていくうちに、私の目の前には大村湾一帯に残る戦争遺跡たちが、幾つもその姿を現してきました。
───ハウステンボスからも見える、アントニオ・ガウディのサグラダ・ファミリアを思わせるシルエットが印象的な、『ニイタカヤマノボレ』の暗号電文発信の地・針尾の無線塔。
そしてハウステンボスのある土地に広がっていた、海軍兵学校最後の地、第78期海軍兵学校針尾分校。そこでは、敗戦を前に、優秀な人材を残し戦後復興を見据えての教育が行われていたと知ったのは、仕事の上でPHP研究所の「歴史街道」編集部の方に付き添い、その方たちの同窓会を取材した時でした。彼らが非番の折りに熱い眼差しを向けていたのが、沖合で訓練を重ねる、ほかならぬその魚雷艇「震洋」だったのです。
そしてそこで語られたのが、戦艦・大和と共に散った護衛艦・矢矧(やはぎ)に当時乗り組んでいた、弊社(元)会長・池田武邦の、大村湾の景色の美しさにようやく生還を実感したという想い。前線に出されぬまま終戦を迎えた当時の第78期生にとって、『実戦を経験した先輩』である池田の言葉ひとつひとつに頷く、いまでは経済の第一線をも退いた「老兵」たちの表情。
さらに、今わたしが住んでいる大村市に、東洋最大級の戦闘機工場があったという史実。米軍の空爆が激しさを増す中、最後の機種「流星」を何とか前線へ届けたかったという、テストパイロットの方の無念。そして、学徒動員されていた弟を、工場でなくした女性の涙。私のアパートのすぐそばにある忠霊塔は、そのためのものでした。
───そんな幾つものエピソードがわたしの手を取り、まるで導くように書かせたのが、剣風帖SideStory「Rest in Peace, / happy Birthday to somebody 」だったのです。それはまるで「繰り返した前世は兵士」と何度も言われる私の、かつての『戦友』たちが、「俺達の事を伝えてくれ」と言っているかのようでした。───そして驚いたことに、あれを書き上げた後、ハウステンボスの敷地内にあった「海軍兵学校の碑」が、各方面の厚意で佐世保市の市有地へと移設され、消え失せていたのです。「ありがとう。さようなら」という声が聞こえたようでした。

そして、今また。
九州国立博物館 のオープン日を迎え、しかもその日にその近くを通りかかって、私はまた別のテーマを書かされようとしているなぁ、と苦笑しました。
ハウステンボスの架空史を社内で公開しないかと言われ、さまざまに調べていくうちに、次に私の目の前に現れてきたのは───『土蜘蛛(つちぐも)』と呼ばれ大和朝廷に滅ぼされた、九州土着の人々の影でした。
現在の大村からハスウテンボスを含む早岐(はいき)一帯を治めていた土蜘蛛の“女王”、『速来津姫(はやきつひめ)』。そして九州国立博物館 に展示されている、古代最大の叛乱を起こした筑紫の君・磐井(ちくしのきみ・いわい)の石棺。
先週、私が「山氣にアタった」と言っていたうちの「相性の良い山」には、「大山田女・狭山田女(おおやまだめ・さやまだめ)」という土蜘蛛の巫女がいて、景行天皇に佐賀の地を治めるヒントを与えたため「賢し女(さかしめ)」と讚えられ、それが転じて「佐嘉(さか)」の地名になったというのです。これにはもうビックリ。

架空史のためにと紐解いた山のような自前の書物は、どれも九龍妖魔學園紀の資料に・・・そして、剣風帖/外法帖のSS用に・・・、と集めていたものでした。今ではまるで、それらが一気に、巨大なクモの巣の形を成したかのように見えます。どうやら私は今度も、まんまと捕まったようです。まぁ、こういうの、まんざらでもないんですけどね(笑)

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